平成十二年度の来光川河川改修に際しての、仁田館遺跡の発掘調査の中で、屋敷北東隅の護岸の下から867枚ものこけら経が掘り出されました。
(画像は、静岡県埋蔵文化財の許可を得て掲載していますが、見栄えが良くなるように扇型に広げられています。)
こけら経とは、写経の一形態で、薄い木の板(こけら・経木)に、お経を写経したものです。仁田館のこけら経は、ヒノキを厚さ0.3~0.5mmに割った幅1.5cm、長さ10~10cmのこけらの片面に、法華経を写経したものです。
法華経全体の約20%に相当する867枚のこけらに、17文字ずつ写経されています。年代としては、14世紀頃と推定されます。土中の地下水に守られて、腐らずに保存されており、文字の判読は容易です。
Information
- なし
- 伊豆箱根鉄道線・仁田(にった)駅から徒歩約600m
- なし
- その他
- 個人のお庭の一部を開放しています。
見どころ
仁田忠常兄弟の墓所
仁田忠常は、治承四年(1180)源頼朝の韮山挙兵で初陣を飾り、頼朝に従軍し数多くの功をあげ、その史話も多く残されています。
頼朝没後、北条氏の謀略により加藤景簾に討たれ、37歳で亡くなりました。仁田家の屋敷内に三基の五輪塔が祀られ、中央が忠常、左が忠正、右が忠時の墓として伝えられています。
頼朝没後、北条氏の謀略により加藤景簾に討たれ、37歳で亡くなりました。仁田家の屋敷内に三基の五輪塔が祀られ、中央が忠常、左が忠正、右が忠時の墓として伝えられています。