仁田館遺跡近くの民家敷地の北西角仁田忠常兄弟の五輪塔が守られています。中央が四郎忠常、左が五郎忠正、右が六郎忠時の五輪塔です。
頼朝の挙兵に加わった仁田忠常は、平家追討で各地を転戦し武功を上げ、頼朝からの信頼は厚かったといわれます。忠常は五人兄弟の真ん中でしたが、上の二人の兄は、石橋山の戦いで亡くなりました。
Information
- なし
- 伊豆箱根鉄道線・伊豆仁田(いずにった)駅から徒歩約550m
- なし
見どころ
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仁田館遺跡
発掘調査の結果、後北条氏の築城術として知られる畝堀が検出された一方で、室町時代以前の遺物は発見されなかったということです。このことから、仁田館が安土桃山時代くらいまでは使用されていたことが分かる反面、本当に仁田忠常の居館跡なのかどうかについては、留保されています。
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仁田館・空堀
鎌倉時代に活躍した仁田忠常地族が居住した仁田館の一部で、館の周囲を掘って空堀とし、土塁を築きました。
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富士宮・人穴
仁田忠常は、源頼朝が催した富士の巻狩りで、手負いの暴れる大猪にまたがって仕留めたとされています。また源頼家が富士の狩り場へ行った際、頼家の命令で朝霧高原の人穴を探索したそうです。