大正7年7月に、大場駅構内と丹那トンネル西口まで、西口(丹那トンネルの西口という意味)軽便鉄道が敷設され、丹那トンネルが完成した昭和9年までトンネル工事用の材料を運搬するのに使われました。 軽便蒸気機関車ケ200型2台で、工事用の機械、木材、れんが、セメント、砂などを運んだそうです。また、朝・昼・夕の3回は、客車をつけて労務者やその家族を乗せました。地元の人も無料で乗せてくれたようです。
 引用:ホームページ[草軽電鉄の記憶]から、”軽便の記録” 丹沢新社 1974 より
            引用:ホームページ[草軽電鉄の記憶]から、”軽便の記録” 丹沢新社 1974 より- 地域
- 函南町
- 名称
- 軽便蒸気機関車ケ200型
- 分類
- 産業遺産・軽便鉄道
- 住所
- 静岡県田方郡函南町
西口軽便鉄道には、軌間762mmの狭い特殊狭軌用機関車・ケ200号が使われたそうです。1922年に輸送力の増強のため、接続する駿豆鉄道線と同じ1,067mm軌間に改軌されたため、ケ200号は使われなくなりました。
西口軽便鉄道路線
見どころ
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                大場駅発着場軽便鉄道は、伊豆箱根鉄道(当時は、駿豆鉄道)の大場駅構内が始発とされています。 コーポラス大場付近が始発ではないでしょうか? 駿豆鉄道で運ばれてきた建設資材は、大場駅構内の積み下ろし場で、軽便蒸気機関車で牽引される貨車に積み替えられたそうです。 
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                大場用水の水門大場駅を出発した軽便鉄道は、上沢道路に並行して流れる大場用水の南側を東進します。井望田の水門の手前で、斜め右に折れます。 八ツ溝用水を渡って、根津クリニックと上沢公民館の間を、来光川のほうへ進んでいったとされています。 ここら辺りに、遺構はまったく残っていません。 
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                平井根岸根岸を通って、民家の裏庭を通ってから、鉄道は北上します。 
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                横渡り付近の柿畑平井台地の山裾をまわり、手前の柿畑のあたりを通っていたと思われます。 
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                軽便道入口県道函南停車場・反射炉線(当時はまだ無かった)を渡って、中央の建物の右側の小道(軽便道)を上がります。 
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                軽便道(けいべんみち)平井台地の山裾を軽便鉄道は進みます。 
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                函南神社・参道函南神社の参道前を軽便道は奥へ進みます。 
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                函南神社函南神社は、丹那トンネルの工事作業者が工事の無事を祈って、お参りした神社らしい。 
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                大竹発電所への分岐線跡ここで、函南駅下の大竹発電所に向かう線路が下の道路方向に分岐したらしい(今では階段になっているこんなに急な道を降りたとは考えられない?)。 
 本線は、右の小道を進みます。
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                橋脚跡大竹発電所に向かう支線は、冷川を渡ります。2本の橋脚が唯一の遺構です。 
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                中川製紐工場本線は、中川製紐工場の倉庫にぶつかって消えますが、軽便鉄道の終点で、かつては倉庫や飯場があったそうです。 
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                終点付近製紐工場から東海道線を見下ろします。ここから工事現場まではトロッコで運搬したそうです。 
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                丹那隧道工事殉職者慰霊碑製紐工場の奥に丹那隧道殉難者慰霊碑が建立されています。 













