• 丹那トンネル     
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丹那トンネルが開通するまでは、東海道線は、国府津駅~御殿場駅~沼津駅と、現在の御殿場線を経由していました。勾配がきつく、登坂用に補助の機関車を連結する手間がかかり、輸送面で東海道線最大のボトルネックとなっていました。輸送力強化のため、国府津駅~小田原~熱海~三島~沼津の新線建設が予算化され、大正7年に熱海側と三島側の両口から工事が着工されました。当初は、丹那山トンネルと称されましたが、丹那山という山は無いので、丹那トンネルに修正されました。

丹那トンネル
地域
名称
丹那トンネル
分類
産業遺産・トンネル
住所
静岡県田方郡函南町桑原

7年後の大正14年に完成する予定でしたが、工事現場は、集塊岩(軽石を含んだ角張った礫岩=凝灰岩の中に角張ったり丸い火山弾が埋まっているもの)や安山岩などの多孔質の地層や温泉余土と呼ばれる粘土層に加えて、大量の湧水や崩壊事故、断層帯の突破に阻まれ、工事は大幅に遅れました。 大正12年の関東大震災の時は、トンネル内の揺れは少なかったそうですが、昭和5年の北伊豆地震の際には、5名が遭難し、そのうち3名が犠牲になりました。またトンネル内にも2.4mの左横ずれ断層が発生して工事中の水抜き抗が分断されました。北伊豆地震後、活断層の存在が分かったにもかかわらず工事を進めて開通したわけは 当時の知識からでも、活断層のずれはめったに起きないことが予想できたためです。 熱海側と三島側からの掘削が進み、貫通したのは、昭和8年6月19日で、ずれはほとんど無かったそうで、当時の工事技術の高さを物語っています。昭和9年3月10日に工事は完成し、11月30日に一番列車が通過し、12月1日に開業しました。


Information

 
あり・有料・70台
 
JR東海道線・函南(かんなみ)駅から徒歩
 
あり

見どころ

  • 吉村昭著[闇を裂く道]
    吉村昭著[闇を裂く道]

    吉村昭著の[闇を裂く道]に丹那トンネル工事にまつわる物語が史実に著わされています。その当時の函南や丹那の人々の暮らしと情景がよみがえってきます。

  • 丹那隧道工事殉職者慰霊碑
    丹那隧道工事殉職者慰霊碑

    函南駅を見下ろす一角に丹那隧道工事殉職者慰霊碑が建立されました。

  • 丹那トンネル殉職者慰霊碑(じゅんしょくしゃいれいひ)
    丹那トンネル殉職者慰霊碑

    トンネル東口(熱海側)の坑門(こうもん)の真上にも、慰霊碑が建立されています。

  • 丹那隧道殉難諸士之墓
    丹那隧道殉難諸士之墓

    丹那トンネル工事の殉難者を供養する石碑です。別の場所にあっものを移築したようです。 

  • 冷川・不動堂・不動明王
    冷川・不動堂・不動明王

    西口のトンネル工事を担当した伊澤組が建立して、工夫達が毎朝お参りしてから坑口に入ったと言われます。

  • 水神さん
    水神さん

    函南駅舎の東端には、水神さんが建立されています。トンネル工事での大量の湧水を鎮める願いが込めて建立されました。

  • 川隧道
    川隧道

    丹那側のズリは、大竹の鉄道橋(川隧道)を代表とする三島までの間の深い谷を埋めるために使われたそうです。

  • 石垣に使われたズリ
    石垣に使われたズリ

    冷川の民家では、丹那トンネルのズリを石垣に利用しています。

  • 丹那隧道一万尺記念手ぬぐい
    丹那隧道一万尺記念手ぬぐい

    丹那隧道の工事で、昭和四年9月に、東口と西口の掘削距離がそれぞれ一万尺(約3km)に達した記念に配られた手ぬぐい。


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